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蘇州四大名園のひとつ。明代に御史(役人の弾劾をつかさどる役職)の王献臣が失脚した際にもともと寺であったこの地を買い取り庭園とした。「拙政」の名は、晋の詩人・潘岳の「閑居賦」から取ったという。 日本人には、潘岳と聞いてもピンとは来ないのかも知れないが、中国では美男才子の代名詞的存在として知らぬ人は...
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蘇州四大名園のひとつ。明代に徐時泰が造営した東園を、清代の1800年、劉氏が拡張して劉園とした。その後、劉と同じ発音の留に変え、留園と呼ばれるようになった。 総面積は二万平方メートル。楼閣を回廊で結ぶが、その窓は「漏窓」と呼ばれる見事な透かし彫りになっている。白い壁に黒い透かし彫り。また、回廊の壁に...
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上海近辺の水郷の古鎮(古い村)としては最も規模が大きい。歴史も古く、元の時代の石橋も残っている。北宋の時代に、周家の領地になったのが名の由来と伝わる。元の時代に、水路による物資の集散地として栄えた。 水路に沿って建つ民家は六百戸。明清時代の建物である。他の江南の水郷の古鎮と同様、白い壁に黒い瓦の...
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南北朝の梁の時代に創建。当時の名は妙利晋明塔院といったが、唐の時代寒山と拾得が住んだとの言い伝えより寒山寺と呼ばれるようになった。 『寒山詩』という漢詩集が唐代より伝わる。天台山に隠れ棲んだ寒山、拾得、豊干の詩集である。「三隠集」ともいう。豊干禅師は、しばしば山から虎に乗って自分の庵に帰ってくると...
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蘇州は他の中国の都市と同様城壁によって囲まれていた。その城壁の南の城門が盤門である。水の都らしく水路で内外を通じさせていた。盤門は、水門を備え、蘇州を外敵から守る防御システムの要の役割を果たしていた。 城壁がほとんど取り除かれたなかで、残された貴重な遺構である。盤門と城の外の水路に架かる呉門橋と...
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藕園は東園や動物園の近くにあり、2000年に世界遺産に登録された。 もともとは陸錦という人が建造した”渉園”であるが、1874年に沈秉成という人が買い取って自宅にし、沈夫妻がここを隠居としたため”藕園”(藕は偶と発音が同じOu)と改名された。1941年に劉国鈞がここを買い取り、1955年に蘇州市の人民政府に寄贈し...
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蘇州四大名園のひとつ。江南に現存する最古の庭園。創建は、五代十国時代の十世紀というから千年以上も遡ることになる。現在の姿は、清代の再興を引き継いだものである 滄浪の名が付いたのは北宋時代。屈原の『漁夫』から取られた。追放され詩を吟じつつ沼沢のほとりを歩いている屈原の前にひとりの漁師が現れる。なぜ...
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蘇州四大名園のひとつ。元代の禅宗の寺の庭園。 太湖石で埋め尽くされ迷路のように造られている。 江南の庭園は、例外なく、水と築山から構成される。築山は、土を盛り上げて造られる本当の山であることもあるが、ほとんどが、太湖石を使った象徴としての築山である。その代表が獅子林である。 太湖石とは石灰質の...
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戦国時代の呉の王・闔閭の墓陵。葬って三日後に白い虎が現れたことから虎丘と呼ばれるようになった。 闔閭が死んだのは越王勾践との戦いに敗れ傷を負ったためであった。闔閭をこの地に葬ったのは息子の夫差。闔閭と夫差と勾践の物語が「臥薪嘗胆」の故事である。 闔閭は死に際し太子の夫差を呼び、「勾践がおまえの父...
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