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頤和園と円明園

頤和園
 北京の北西部に位置する庭園、昔の皇帝専用避暑地である。敷地面積は290ヘクタール、玉泉山、西山などの山々と並び立てています。かつて、清漪園と呼ばれていた頤和園は、乾隆帝が母の誕生日祝いに1750年に造営したもので、皇帝、皇后、妃が、憩いの場として足しげく通っていた場所でした。1860年、野蛮な英仏連合軍に焼き払われましたが、1886年になり、西太后が海軍の軍費を流用して再建し、頤和園と名を改めました。1900年になって、再び八国連合軍に破壊され、1902年に改めて修築されました。1914年には清朝の王室財産として開発され、1924年になってはじめて、公園として―般公開されるようになりました。1992年、頤和園は『世界で最も人工の景観が多く、建築物が集中し、保存状態がよい皇室庭園である』との評価を受け、そして1988年、ユネスコの世界遺産に登録され『世界文明の重要な象徴の一つ』との美称を獲得しました。頤和園は、歴史文化を内包し、科学的、芸術的価値が高く、人類文明の至宝と言っても過言ではない。
 頤和園の北側には万寿山がそびえ、山に青々と茂る松や柏(ヒノキ)などは、壮麗な宮殿楼閣や古刹をより魅力的に見せています。また、精巧な銅製品と石の彫刻は、山を一段と優雅に引き立て、まるで星や碁石のように多く分布している楼閣の中には、たくさんの展示品が所蔵されています。極彩色に輝く仏香閣は、山の南西側に建てられ、霧の向こうに昆明湖を見下ろせます。湖の面積は公園面積の四分の三を占め、湖水はきれいに澄んでいます。杭州の西湖を模して『長堤』を築き、伝説の仙人が住むといわれる島を湖中に浮かべています。山の影が湖に映し出される天然の絶景は、まるで俗世を離れた桃源郷のようです。

円明園
 円明園は、頤和園のそばにあり、広さは3.5平方キロメートルにも及ぶ。
 1709年、清朝の4代皇帝康熙帝が、皇子の胤禛(いんしん。「しん」は「示」に「眞」)に与えた庭園がその起源となる。胤禛が皇帝に即位すると(雍正帝)、1725年以降様々な建物が増築され、庭園も拡張された。
 6代乾隆帝の時代には、円明園の東に長春園、南東に綺春園(のちに万春園と改称)が設けられた(この円明園、長春園、綺春園を総称して、広義の円明園となる)。長春園の北側には、イエズス会士のブノワ、カスティリオーネらが設計にかかわった噴水が設けられ、西洋風の建物が建てられた。嘉慶帝の時代にも大規模な修築が行われ、揚州から最高級の建具が取り寄せられた。そして、文源閣には四庫全書の正本が収められた。
 ヨーロッパでは"Old Summer Palace"などの名で紹介され、ヴィクトル・ユーゴーは『たとえフランスのノートルダム大聖堂のすべての貴重な品物を集めたとしても、この壮大で立派な東方の博物館と比肩することはできない』と褒め称えた。
 しかし、1856年に勃発したアロー戦争(第二次アヘン戦争)に際して、北京までイギリス・フランス連合軍が侵入、彼らによって略奪、破壊され廃墟となった。その後も、戦乱や文化大革命などによる荒廃が進んだ。
 1984年に遺跡公園建設が始まり、一部の地域が修復、整備された。1988年に国の重点保護文化財に指定され、愛国主義教育の象徴として、そして観光資源として数多くの観光客を集めている。
 現在では、廃墟のまま保存すべきか、一部でも復元すべきか中国国内で議論されている。

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