北京最大のチベット仏教(通称「ラマ教」)の寺院群として、北京の東城区の北新橋の北、旧内城の東北部に位置し、6.64万平方メートルの敷地に漢、満州、モンゴル、チベットの各民族の建築様式が融合し、一体となった独特な雰囲気を持つ寺院である。
歴史を遡れば、雍和宮は清代康煕33年(1694年)に明代の宦官房の跡に建てられ、ラマ教の寺院になる前、康煕帝の4番目の子・胤禎(雍和帝が帝位につく前、親王であった)の王府、即位するまで胤禎はここに住んでいたのである。雍正が皇帝になってから3年目の1725年、ここは「雍和宮」と改名された。1735年、雍正帝が亡くなった後、その棺が暫くここに置かれたため、主な殿堂の瑠璃瓦は緑から黄色に変え、皇居と同じようになった。乾隆9年(1744年)、雍和宮は正式にラマ教の寺院になり、全国のラマ教教務の中心となった。
雍和宮は3つの鳥居(瑠璃牌楼)と「天王殿」、「雍和宮大殿」、「永佑殿」、「万福閣」などからなっており、南北一線上に並び、両側には東西配殿と「講経殿」、「密宗殿」、「数学殿」、「薬師殿」が建てられている。
万福閣は一番裏に位置する正殿、雍和宮で一番高い建物として、乾隆18年(1753年)に建てられ、各階には1万体以上の仏像が供養されている。中央にある「弥勒仏」は、高さが26メートル(地下に8メートル、地上に18メートル)、直径が8メートルに達し、長さ約26メートル、直径10メートルもある一本の白檀の木を彫刻したもので、木造としては中国最大と言われている。両側にある6つの仏壇には十八羅漢像が並んである。壁画には、釈迦様が誕生してから、100回以上も行ったと言われる布施の歴史が「曼陀羅」として描かれている。