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碑林

 碑林とは文字や図像を刻んだ多数の石碑の集合を意味する。昔の西安の孔子廟を基礎として1087年に建てられた建築で現在は博物館である。石碑展示室、石刻展示室、臨時展示室の3つに分かれている。建築面積は約4000平方メートル、展示品は約3000点ある。
 博物館は南北に細長く、門をくぐると木牌坊が見える。右に折れて正面をみると東西両側に展示室が続いている。その間の遊歩道の両側に石造りの動物模様の門柱や八角円堂の碑閣が立ち並んでいる。合わせて七つの石碑展示室には大型の石碑と墓誌銘が千基ほど展示されている。展示の石碑は漢の時代から清の時代までの各時代にわたっている。石碑には歴史実録、仏教、古代の名著などが刻まれており、石碑は当時では文化を伝える重要な手段であった。特に、唐の太宗皇帝が乗用した軍馬をモデルとして彫刻した昭陵六駿は最も有名な芸術の珍品。この六駿は唐代の大画家閻立本の絵を模写し、高さ2.5メートル、幅3メートルの石版に彫刻されている。


石台孝経

 碑林の入り口あたりに立っている石台孝経碑は高さ5.7メートル、唐の玄宗皇帝の天宝四年(745年)の親筆で、内容は孝経に関する解説で、碑額の題字は皇太子李亨(後の粛宗皇帝)の書である。碑文の中に、「身体髪膚これを父母に受け継ぐ」という名言も残してある。


書院門

 碑林博物館の傍にあり、中雀門ともいわれていた。現在は文化歩行街の一つの古跡となっている。
 左上の石垣には重箱櫓と書院二重櫓があり、本丸に上がる人びとを圧倒した。 昔は坂下に二の門があり、現在はスロープになっている坂道は石の階段であった。上り坂を囲む石垣は見事すぎるほどの切石積みとなっている。
 坂を右に曲がると中雀門跡がある。足下には3対の門柱の石があり、それぞれの石には丸と角の二つの穴がある。文久三年(1863)、本丸御殿が焼けたときに類焼した痕と考えられ、150年近く経過した今も火災の凄まじさを物語っている。
 本丸地区は五回の羅災にあい、そのつど復旧されたが、文久三年の火災以降は再建されなかった。

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