杭州は浙江省の省都。杭州湾の最も奥まったところ、銭塘江の左岸に開けた町である。
秦の時代、始皇帝が銭塘県を設置したという記録が史書にあり、それがこの地が史書に登場する最初である。隋の時代、北京から黄河、長江を越え杭州に至る京杭大運河が開削されてからは、江南の重要な拠点となる。
江南の憶ひ
最も憶ふは 是れ 杭州
山寺の 月中に 桂子を尋ね
郡亭の 枕上に 潮頭を看る
何れの日か 更に 重ねて游ばん
唐の詩人・白居易の詩である。白居易は左遷され杭州で刺史を務めていたことがあった。後日その日々を振り返り感慨を述べたものである。「最も想うのは杭州である」、と。
「山寺」は杭州の霊隠寺または天竺寺を指し、「桂子を尋ね」とは、月に生えるという桂の実をさがすことを言う。「群亭」とは役所にある亭であり、寝ながらに銭塘江の逆流を見ることを言う。
時代が下り、南宋(1127~1280年)の時代には、都が杭州に置かれる。十三世紀マルコポーロが訪れ、その繁栄ぶりを「まちがいもなく世界第一の豪華・富裕な都市」(平凡社・『東方見聞録』、愛宕松男訳)と記す。
町は西湖を抱くように広がるが、西湖の名の由来は西施にあるという。春秋時代、越王・勾践が、宿敵呉の夫差を滅ぼそうとの謀り事からえらび献上したのが西施である。夫差は計略どおり西施にうつつを抜かし国を傾け、夫差に滅ばされる。