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麦積山石窟

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 麦積山(ばいせきざん)石窟は、中国五大石窟の中でも塑像の殿堂、東方の彫刻館とも言われ、独特な趣がある。甘粛省の省都蘭州から山地型の高速道を走ること約5時間、緑に囲まれた天水市の東南約50キロにある。天水(てんすい) なんと響きの良い言葉だろう。海抜が高く極度の乾燥による侵食現象が深刻な黄土高原を抜け出ると緑の大地が名前の如く緑まぶしく耀く。大黄河の支流、謂水の水源地帯は桃や、スイカ、トウモロコシ畑に山並みが美しく重なり桃源境を形つくっている。ここ天水は秦嶺山脈の西の端にあり、秦州と呼ばれ河西回廊、シルクロードの要地であった。仏像は礼拝の対象で、人間の体の理想化といわれ、1世紀後半からインドで造られ中央アジアを通り中国にもたらされた。中国の石窟は西域北道を経て高昌国や敦煌から河西回廊、黄河に沿って西から東へと造営されて行った。敦煌の莫高窟は前秦の366年に創建、麦積山石窟はやや遅れ後秦の394年―416年頃に創建されたといわれる。以来清王朝まで十二代1600年の長きにわたり開鑿されたが西秦から宋王朝までが最も盛んで現存するものも唐時代以前のものが多い。
 遠くから見ると麦わらを積み上げたような形から名がつけられたが、麦積山石窟は、海抜1700mにある高さ142mの孤峰の切り立った崖に蜂の巣状に広がっている。
 ここに今も七八〇〇体以上もの塑像、石像と1000m以上の壁画が194の洞窟に残っている。唐代の734年大地震により崖の中央部が大きく崩れ東壁と西壁とに分断された形になった。石窟の前の瑞応寺から風景区に入る。
 すぐに巨大な摩崖仏に圧倒される。中央は阿弥陀仏、左側は観音菩薩、右側は勢至菩薩。阿弥陀仏の高さ15m。これらの塑像は岩を削って大まかな形を造り、その上に土を塗り、隆起する部分は岩にあけた穴に柱を入れその上に土を塗っているという。隋の時代に造られ阿弥陀仏の泰然自若のお姿、両脇の菩薩の穏やかな笑みが印象的である。

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